書写・習字・書道の違い|金沢市の書道教室が解説|大人も子どもも
「習字と書道って、何が違うの?」
「書写と習字は同じもの?」
書道教室を探していると、この違いが少し気になる方も多いのではないでしょうか。
一般的には、【書写や習字は「正しく美しく文字を書くための学び」、書道は「書を通して表現するもの」】と説明されることがあります。
楓書法教室でも、大きく考えればこの方向性は同じです。
ただし、私自身は「書写・習字・書道」を、単純に三つの別物として分けて考えてはいません。
ここでは、楓書法教室で考えている「書写」「習字」「書道」の関係についてお話しします。
書写とは、正しい文字を身につけること
まず「書写」。
書写という言葉だけを見ると、「文字を書き写すこと」と捉えることもできます。
しかし、学校教育で行われている書写は、それだけではありません。
姿勢、筆の持ち方、文字の形や筆順、点画の長短、接し方や交わり方、文字の大きさや配列、外形の取り方を学び、文字を正しく、整えて、読みやすく書く力を身につけていきます。
文部科学省の学習指導要領でも、書写について「文字を正しく整えて速く書く」ことや、日常生活や学習活動に役立てることが示されています。
楓書法教室では、これをもう少し端的に、
「文字そのものを学ぶこと」
と考えています。
たとえば、
◾️この漢字はどのような形なのか
◾️どこに点画があるのか
◾️筆順はどうなっているのか
◾️どこを長く、どこを短くするのか
◾️文字の大きさや組み立てはどうなっているのか
そうしたことを知り、正しい文字の形を自分の中に覚えていく。
言ってしまえば、書写には「暗記」のような側面があります。
知らない文字を正しく書くことはできません。
だからこそ、まずは文字を知る。
そして、正しい形を覚える。
これが書写の大切な役割だと考えています。
書写(習字)では、覚えた文字を「きれいに書く」
では、「習字」は何なのか。
ここは書写とかなり近いところにあります。
一般的な説明でも、習字は手本などをもとに、筆順や「とめ・はね・はらい」などを意識しながら、正しい文字を書く練習として説明されるようです。
楓書法教室では、これを【「身につけた文字を、安定して美しく書けるように鍛錬すること」】と考えています。
たとえば、同じ「永」という字を100回書いたとします。
100回とも形がばらばらでは、まだ「身についた」とは言いにくい。
一つの文字を100回書いたら、100回とも同じように美しく書ける。
それが、私の考える「習字」です。
もちろん、人間が書くものですから完全に同じになるわけではありません。
それでも、
「この文字なら、この形にできる」
という再現性を身につける。
そのために、何度も何度も筆を動かします。
習字では「平等な均衡」を学ぶ
習字をするとき、私は「均衡」(バランス)をとても大切にしています。
たとえば、一つの文字の中にある空間。
右だけ極端に広かったり、左だけ極端に狭かったりすれば、文字は不安定に見えます。
上下左右の空間や、点画の長さ、大きさなどを整え、
「どこに、どれだけの空間を置けば、文字が美しく見えるのか」
を学んでいく。
私はこれを、「平等な均衡」と考えています。
もちろん、すべてを機械的に半分・三分の一・四分の一に分けるという意味ではありません。
「整った形には、整って見える理由がある」ということです。
この感覚は、書道へ進んでいくためにも欠かせません。
では、書道は何が違うのか
ここからが「書道」です。書道では、ただ美しい文字を再現するだけではありません。
学んだ文字の形や筆使いをもとに、古典を学び、そこから自分なりの表現へと広げていきます。
高校の書道教育でも、古典に基づいた点画・線質・用筆・運筆を学びながら、字形や全体構成を考え、意図に基づいて表現を工夫することが示されています。
つまり、書道は「好きなように書けばいい」ということではありません。
「古典に立脚する」という、さらに奥深い基礎を知ったうえで、どう表現するか。
そこに書道の面白さがあります。
書道では「割り切れない均衡」を求める
習字では、整った形を目指します。
しかし書道では、必ずしも左右が同じ、上下が同じ、という必要はありません。
◾️一方を短くして、もう一方を大きく伸ばす。
◾️重心を上げたり、下げたりする。
◾️あえて余白を偏らせる。
◾️線の太さや強弱を変える。
それでも、作品全体としては崩れていない。文字の均衡が取れる。
私はこれを、「割り切れない均衡」なのだなあ、と考えています。
「均等」ではないけれど、「不均衡」でもない。
一見すると不揃いなのに、全体として見ると不思議とまとまっている。
書道には、そうした面白さがあります。
そして、その「割り切れない均衡」を求めるためには、まず「平等な均衡」を知っていなければなりません。
整えることを知らずに、崩すことはできない。
これが、私が習字を大切にしている理由の一つです。
「100回同じように書く」と「100通りに書く」
習字と書道の違いを、私はこんなふうに考えています。
習字は、100回書いたら100回同じように美しく書けること。
一方で、
書道は、100回書いたら100通りの表現ができるようになること。
もちろん、これは単純な技術の優劣を表しているわけではありません。
むしろ、書道で自由に表現するためにも、習字で身につけた基礎が必要です。
習字と書道は「どちらが上」ではない
ここは、とても大切にしています。
「習字を卒業して書道へ進む」という考え方だけではありません。
習字と書道は、最終的には両輪だと私は考えています。
書写で文字を知る。
習字で文字を整えて書く力を身につける。
そして書道で、古典を学び、そこから表現を広げていく。
その一方で、書道を学ぶようになってからも、文字の形を整える力や、用筆を安定させる力は必要です。
だから、
書写 → 習字 → 書道
という一方通行の階段というより、
書写を土台にして、習字と書道を両輪で育てていく。
そんなイメージです。
楓書法教室では、子どもも「書道」につながるところまで学びます
楓書法教室の子どもたちの学習では、まず文字を正しく書くことを大切にしています。
◾️筆順を知る。
◾️文字の形を知る。
◾️正しく、読みやすく、美しく、速く、書く。
これは、決して「書道をする前の簡単な練習」ではありません。
書道につながっていくための、大切な基礎です。
そして、文字を書くことに慣れてきたら、古典にも触れていきます。
楓書法教室では、子どもたちが古典を臨書する「未来習字」という取り組みも行っています。
古典をただ真似するだけではなく、
「昔の人は、なぜこんな線を書いたのか」
「なぜ、この字形になっているのか」
「この作品は、どこが面白いのか」
そんなことを考えながら、少しずつ書の世界を広げていきます。
大人の書道も、まずは「書写(習字)」から
これは大人も同じです。
「大人になってから書道を始めたい」という方の中には、
「いきなり作品を書いてみたい」
という方もいらっしゃいます。
もちろん、それも書道の楽しみ方の一つです。
ただ、まったくの初心者であれば、いきなり自由に表現することは簡単ではありません。
まずは文字を知り、筆の扱いを覚え、文字を整えて書く。
そして、少しずつ古典を学び、自分の書きたいものへと広げていく。
楓書法教室では、大人の方にもこうした積み重ねを大切にしています。
「きれいな字」と「芸術」は、別々のものではない
書道を芸術として考えると、
「きれいな字を書けること」と「芸術的な表現」は別のものに感じるかもしれません。
しかし、私はそうは考えていません。
きれいに、平等に整える力があるからこそ、そこから意図的に変化させることができる。
そもそも綺麗なものをみていたい、ということは芸術の本質のひとつでしょう。
基本を知っているからこそ、
「ここはあえて崩してみよう」
「ここは線を強くしてみよう」
「ここは余白を残してみよう」
という選択ができる。
だからこそ、習字も書道も大切なのです。
楓書法教室では「書写(習字)」から「書道」へ
「書写」「習字」「書道」。
この三つは、完全に切り離されたものではありません。
私の中では、
書写は、文字を知ること。
習字は、知った文字を美しく、安定して書けるようにすること。
書道は、身につけたものを古典に学び、応用し、自分の表現へつなげていくこと。
という関係です。
そして、習字と書道は上下関係ではなく、互いに支え合う両輪。
まずは正しい文字を知る。
美しく書く力を身につける。
そこから古典を学び、自分だけの表現へと進んでいく。
「きれいな字を書けるようになりたい」から始まってもいい。
そこから先に、もっと深く、もっと自由な「書」の世界があります。
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